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2017年7月31日 (月)

山の手の尾根道~三田用水(後半)

 玉川通り(246)を越えて目黒区青葉台の閑静な住宅街を歩く。

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 尾根道のすぐ西側(下の写真で左側)は、目黒川に向いた急な崖となっている。下の写真で「止まれ」と書いてある細い道路が三田用水の跡。

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 その先にも三本の細い道路が集まった交差点がある。真ん中の道が三田用水跡。

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 この交差点のすぐ横が、西郷山公園。西郷隆盛の弟、西郷従道の邸宅があったところ。西郷は大名家からこのあたりの屋敷を買い取ったそうだ。その後は一部を国土計画が買い取ったりしたが、大半はこの区立西郷山公園と菅刈公園として公開されているのは結構なことである。

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 西側は例によって目黒川に向けた急傾斜の崖。昔から富士山が見える景勝地。今では植生が増えたりマンションが邪魔したりでさほど眺望は良くない。

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 三田用水の跡はこの先旧山手通りに沿うが、クルマの多い道は面白くないので、一旦坂を下り江戸時代からある古い麓道に出て、再び坂を登る。登る坂は目切り坂。かなりの急坂。

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 目切り坂の頂上も近い。右手はマンション。左手はこの後訪問する旧朝倉家住宅の敷地。

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 旧朝倉家住宅は、元東京府議会議長などを務めた朝倉虎治郎の邸宅。ご多分にもれず崖線の上の眺望の良い土地に建てられている。現在は国有財産であるが渋谷区が管理している。入場料100円は60歳以上は免除。

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 中の空間は、かなり余裕がある。基本は和風建築であるので、床の間付きの座敷。

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 屋敷の主の解説板。意思と言うか押しの強さが感じられる風貌。

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 和室だけでなく洋室の会議室もあり、戦後も官庁の会議室としてしばらくの間使われていたそうである。民間の会議室よりはずっと立派。会議に権威付けするには、こういう設定が必要なのか。

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 座敷の前は庭園と言うのは、定番の作り。庭石も多分そこらの川から取ってきたようなただの石ではないだろう。

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 庭に出て外から屋敷を眺める。結構大きな建物である。

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 旧朝倉家住宅を辞して、代官山のバブリーな佇まいには目もくれず、鑓ヶ崎の交差点を横切って三田用水沿いに進む。しかし三田用水はこの後旧海軍艦艇研究所に行く手を阻まれるので、一般人はやむなく坂を下って目黒川に出る。下る坂は別所坂という。

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 下ったところは完璧な護岸工事に囲まれた目黒川。中目黒のランドマーク、アトラスタワーが目立つ。

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 目黒川沿いにはいくつか橋が架けられていて、その名が記されている。この後川沿いに中里橋まで歩く。因みに下流の太鼓橋は目黒不動から細川藩屋敷(現雅叙園)に通ずる橋。

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 川沿いに桜の木が植えられていて、春には桜の名所。桜の花びらが落ちて川面を埋め尽くす。散策路の左側は。現防衛省の艦艇技術研究所敷地。ブラタモリで森田先輩が特別に中を見学していたところ。空撮写真でこの研究所を見ると、横長の巨大な工場みたいな建物が目立つ。

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 中里橋から新茶屋坂を登っていくと、右側に下の写真のような碑が建っている。三田用水が、開削された新茶屋坂を高架で渡る橋。本当に残念ながら、道路拡幅時に跡かたもなく撤去されてしまった。

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 その用水の橋が架かっていたのは、多分このあたりだと思う。左が防衛省、右が民間マンション。

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 目黒のさんまの俗説にも言われている本家茶屋坂を登ってみる。この坂も実に急な坂である。

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 茶屋坂を上りつめたところから、新茶屋坂と対岸の防衛省敷地を望む。奥の高い煙突は目黒区清掃工場の煙突。

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 三田用水跡地に戻って、先に進む。路傍の樹木の寿命は分からないが、こういう木々が植えられているのは、少なくとも昔からの道だと思う。

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 ところで三田用水の語源であるが、ここでいう三田は慶応大学のある港区三田とは別の目黒区にある三田に由来するようである。目黒区三田の用水跡の路地を辿りつつ、日ノ丸自動車の自動車学校の横や掘割の山手線の横を歩いて目黒駅の脇を通り過ぎ、目黒通りを白金台方向に進む。このあたり、用水の痕跡は皆無である。
 自然教育園の隣の児童遊園にあった説明板に気になる地図が。深緑色の湾曲線が三田用水の跡である。

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 とはいえ、三田用水の跡は地上げで作られたマンションに分断されてしまった。マンションの中は通れないので、狭い路地を通って用水跡を探す。名高い白金台も一歩裏通りに足を踏み入れれば、この通り。

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 表通りとは似ても似つかぬ白金台の住宅街を用水跡沿いに歩いて行くと、突然珍しく段差が登場。右手の金網は、用水跡に建てられているマンション敷地。

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 階段を降りると、三田用水の解説では有名な説明板がある。ハイクレスト白金台と言うのが用水跡を含めて再開発されたマンションである。

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 三田用水はずっと地面に沿って流れていたわけではなく、高低差があるところでは鉄道のように築堤を築いて滑らかに高低差を保つように流していたようである。下の写真はこの築堤の遺構を、断面を残して示している。上部の凹部分が石樋だそうだ。

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 この後も用水跡は続いているが、下の写真の地蔵堂は用水が流れていた跡にお堂が作られたと思われる。

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 下の住宅も、おそらくは用水が少し高いところを流れていた跡地に建てたものと(素人考えで)思われる。このあたり土地の水準面はでこぼこしているが、道路脇の住宅の地平面の高さが同じ高さに見えるので、当方の仮説としては、住宅は用水跡に建てられたと思う。現場で実物を見れば納得できると思う。

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 三田用水のゴール。先達の皆さまがblogなどで載せているクリーニングの白洋舎の脇。ここも曲線の具合が絶妙。

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 白洋舎の反対側は国道一号線の高輪台。ここまでの路地裏のちまちました道路と住宅がウソのような広い道路と高層ビル。

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 この後国道一号線を五反田駅まで歩いた。谷底の五反田駅に降りて行くと、「高輪台」と言う地名が実感できる。この後五反田で少し休憩して五反田から上馬までニッチな路線バスで移動し帰途についた。本日の歩数は29,150であった。
 天気予報通り、明け方の雨もやんで最高気温も30℃を下回り、つかの間の散歩日和であった。

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