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2017年10月 1日 (日)

渋谷川から四谷、市谷~神田川へ散歩

 ちょっと前、真夏の8/20の散歩の記録。前日の天気予報で翌日は珍しく最高気温が30℃を割るとのことだったので、急遽散歩の予定を組んだ。ぱっと地図を見て前から気になっていた渋谷川をターゲットにして遡行していくと神宮外苑に出る。そこから気になる四谷の谷に下り、甲州街道の尾根を越して外濠・市谷の谷に下り、また上って神田川の谷へ行くことにする。
 スタートは渋谷駅の明治通りから横に入っていく。いまはキャットストリートと言う名を付けられて賑わっているそうだ。下の写真は入って間もないところ。カーブの具合が川沿いの道の面影。

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 表参道を横切るところ。表参道から見ると川を渡る橋が架かっていた。幟にある穏田神社はこの近く(穏田村)の産土神。

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 表参道は歩道橋で渡る。面倒くさいが、適度の運動と眺望も悪くない。

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 歩道橋を渡って、再び川の跡を歩く。

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 表参道を越すと、店の密度が多少まばらになる。この少し先に村越の水車と言うのがあるのだが、このときは下調べが足りず気付かず通り過ぎた。

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 原宿橋跡の親柱。先入観をもって歩かないと気付かない。河川跡を歩いていて、少し大きな道と交差するところが要注意。

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 更に遡行して外苑西通りに突き当たると、河道跡の痕跡は見えなくなる。先へ進むと、霞ヶ丘アパートの建て替え工事や、新国立競技場の工事現場となるが、フェンスに遮られて無粋な景観。新国立と神宮球場の間を抜けて、聖徳記念絵画館。建築意匠としては評価されているそうだが、個人的にはあまりよい印象は持てない。

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 神宮外苑の由来を調べてみると、青山練兵場(日比谷練兵場の公園化で作った)~明治天皇大喪の礼会場~明治天皇の遺徳を偲び明治神宮~表参道~外苑の建設。
 練兵場以前を明治13年の地図で見ると、火薬庫、陸軍施設、茶畑などがある。その前は、広大な丹波篠山藩青山家の屋敷地だったはず。徳川家康から「馬で駆けまわれるだけの屋敷地を遣わそう」と言われて、馬が疲労で死んでしまうほど駆けまわったという逸話(事実かどうかは知らない)があるほど、広大だったのだろう。かつ高台で田圃にもできないので当時は価値があまりない土地だったためか。閑話休題。
 外苑の先にある安鎮坂(権田原坂)。赤坂御用地の北側、明治記念館との間に当たる。

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 静かで緑も多く、歩いていて気持ちがよい坂である。南元町の谷に下る辺りのカーブの曲がり具合もなかなかの趣き。

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 下りきったところは、赤坂御用地鮫河橋門。皇宮警察が警備している。当然入れない。

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 門は江戸時代様式のようだが、鬼瓦にはさすがに菊花紋章。

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 この辺りに降った雨はどこに行くのだろうと地形図を見ると、勾配はこの門から赤坂御用地の中を通って溜池に向かっている。想像もつかなかった。
 ここから北に鮫河橋の窪地方面に。途中こういう坂もある。中央線(甲武鉄道)は新宿から都心(飯田町)を目指す際に、勾配を避けて代々木~千駄ヶ谷~四谷ルートを通った。一説では、陸軍が青山練兵場(現神宮外苑)を通せと言ってこのルートになったという。そんなことは知りませんと言う感じで、今の中央快速は通り抜けていく。

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 谷底である鮫河橋の通り。今は新宿区若葉・南元町。地形上、淀橋台地が川に刻まれてできた窪地であるが、その成り立ちは江戸期は岡場所、明治期はスラムだったそうだ。関東大震災以後はスラムは解消していったそうである。

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 通りの途中に異彩を放つ蔵があった。どんな謂れがあるのだろうか。

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 谷底の通りを取り囲んで見下ろすように、たくさんの寺社がある。低地の古い住宅との対比がちょっと異様。これらの寺社は、多分甲州街道と関係があると思う(後述)。

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 いくつかある寺に登る坂にそれぞれ寺にちなんだ名前が付けられている。道路には押し並べてスリップ防止のコンクリートと輪っかが付いている。江戸時代から勾配緩和などせずそのままの形で残っているのだろう。

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 須賀神社の入り口。この神社も谷底から斜面を登ったところにある。斜面の階段は最近アニメ「君の名は」で登場して有名になったそうだ。

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 谷底の通りのおしまいは甲州街道への上り。甲州街道は江戸時代、幕府の軍事道路であり、見方を変えると江戸城の半蔵門から八王子までさしたる障害(大河や山地)もなく一直線に駆け抜けられるため、逆に言うと八王子から攻められたら簡単に江戸まで迫られる。そのため幕府は八王子には千人同心を配置し、沿線の多摩は直轄とし、有事に軍事拠点化するために寺社を集中配置した。京都黒谷の金戒光明時などが幕末に会津藩宿営地になったように。でも、幕末の江戸は東海道から西郷隆盛、甲州街道から板垣退助に攻め寄られて家康の遺産は使われなかったようだ。

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 尾根道の甲州街道を越して、津の守坂に。美濃高須藩松平家の屋敷があったことから付いた名前。これも江戸防御の親藩配置。

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 津の守坂の先には防衛省とその巨大なアンテナが。塔は巨大だが、いくつか取り付けられているアンテナの直径は小さい。波長の短い(情報量が多い)UHFアンテナだろう。

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 尾張藩上屋敷~陸軍士官学校~防衛庁東京方面総監部(三島事件)~防衛省本省。御三家筆頭の尾張藩は南向きのひな壇一等地を拝領していた。一度は行って、中から外濠を見下ろしてみたいものだ。

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 市谷亀岡八幡宮脇の左内坂を上る。上りきった防衛省の裏側は、大日本印刷(DNP)の施設がたくさんある。

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 DNPの寮の跡地の間(市谷鷹匠町、いい名前である。)に、こんな史跡説明板がある。三大仇討は知らなかった。時代劇に出てくる一対一ではなく、家対家の大がかりな仇討だった。なお、背景の白い板は再開発の表示。そのうちこの辺りも寂しい空き地からDNP本社付近のように今風の味気ない風景に変わるのだろう

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 市谷納戸町で十割蕎麦のランチを済ませて、「牛込」由来のもとである牛込城址(現光照寺)へ。

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 由来が書いてある。牛込氏は、もと上州赤城山麓は大胡氏の出で、南関東に出てきて牛込と言われるこの辺りを根城にしたそうだ。その際出身地の赤城神社も近くに勧請し、それが神楽坂の赤城神社。新宿区は、淀橋区、四谷区、牛込区が戦後合併したものだが、牛込の名前の由来がそうであったとは初めて知った。因みに、淀橋は神田川に架かる橋の名前、四谷は谷が四つ(たくさん)ある地域の名前。警察署の名前は、今でも四谷、牛込。淀橋署は新宿合併後20年以上経って新宿署に改称された。そんな謂れがあったんだ。

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 で、神楽坂を今回はスルーして、件の赤城神社へ。

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 牛込の台地から北へ神田川の谷に下る坂はその名も赤城坂。これも広いのに急な坂。

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 下ったところは、名前の割に風情がない神田川。井の頭公園から結構複雑な流路を辿って都内まで来ている。

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 この先はルートを決めてなかったが、神田川北岸の川べりと坂と台地を巡回してみようと思い、まず小日向に上る大日坂へ。坂の中腹に大日如来を祀る小さな堂がある。ちょっとお参り。

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 狭いが小ぎれいな境内に古い素朴な石像。

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 小日向の住宅街から鳩山会館裏手に向かう道すがら、狭く急な坂。石川啄木最初の下宿跡の向かい。あまりよい土地ではないと思う。

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 そこから30m足らずで、鳩山家の屋敷(鳩山会館)の裏手に出る。邸宅の正面でもないのに、こんな装飾を施している。この日、鳩山会館は改修工事で休館中。

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 鳩山会館の敷地をぐるっと回って目白新坂下に出る。もう少し時間があるので、神田川沿いを少し歩くことに。

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 目白坂(関口台地)の崖下の神田川沿いは江戸川公園になっていて桜並木が植えられている。

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 江戸時代の神田上水の取水口跡の解説

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 大洗堰で使われていた石材の跡(?)

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 公園を抜けると、椿山荘の建物が並んでいる。

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 椿山荘敷地を抜けた先に、関口芭蕉庵がある。

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 中をちょっと瞥見。句心はないが、心地よい空間。

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 芭蕉庵を出て、胸突坂を上って台地の上に出ることにする。

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 名前の通り、急坂である。

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 坂を登る途中左手は、元肥後細川藩屋敷。今は細川庭園と永青文庫である。このあたり、食指が動く施設が盛りだくさんで迷うが、ここは別の機会に取っておく。

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 坂を登りきったところ目白通りを椿山荘の反対側に、カトリック関口教会・東京カテドラル聖マリア大聖堂がある。外観は斬新な意匠に見えるが、中が音響も含めて素晴らしい。30年以上前に朝比奈隆さんが指揮したブルックナーの7番をここで聴いた。残響時間の長い建物なのでブルックナーに相応しく実に素晴らしかった。

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 この時点で15:40。下見としては上々の収穫だったので、今日はここまで。写真右手の目白旧坂は次回のお楽しみ。新宿まで直行の路線バスで帰途につく。

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